-
モビールとは、外部の自然な力によって構成部分に動きをもたらす“動く彫刻”のことです。「モビール」という言葉は、ときにはより広い意味で使われ、モーター仕掛けや手動の機械をともなう彫刻作品を指すこともあります。この用語が初めて使われたのは、アレクサンダー・カルダーの作品群にマルセル・デュシャンが名をつけたときでした。デュシャンこそは、モビール誕生への道筋を開いた立役者でした。

-
デュシャンが既製品を用いて作った『自転車の車輪』(1913年)は、キネティック・アートに多くの新機軸が生じるもとになりました。この作品は踏み台と動かすことのできる自転車の車輪から成り立っていましたが、踏み台も車輪もデパートから買ってきたまま、美術上はほとんど何も手を加えていませんでした。しかし、デュシャンにとって重要だったのは対象物にそれまでと違う意味を与えることで、それは見慣れぬ組み合わせや新たな環境、そして車輪が動くということによってもたらされるのでした。

-
“動く彫刻”の概念をさらに発展させたのが、アレクサンドル・ロドチェンコです。彼の『吊るされた楕円形構築物No.12』(1920年頃)は、20世紀における最初の吊るされた彫刻のひとつでした。1枚のベニヤ板を切り抜いた同心円の輪から成るこの作品は、二次元の平面が回転することによってあたかも三次元の構造物のような現れ方をしました。円を描く軌跡は球体や無重力を思わせるとともに、原子核の周りを回る電子の動きを連想させました。

-
ほぼ時期を同じくして、ダダイズムの芸術家たち、とりわけマン・レイも“動く彫刻”の発展に寄与しています。たとえばレイの『障害物』(1920年)は、ピラミッド形に配置されたハンガーから組み立てられていました。この作品は、それぞれのハンガーにさらに2個のハンガーを両端からぶら下げるという方法を繰り返して、部屋全体をハンガーで埋め尽くしたものでした。その秩序立った構造ゆえに、このピラミッドが持つ釣り合いは単調ながらも変化しうるもので、ハンガーが1個動いただけで全体が揺れ動くようになっていました。

-
アルベルト・ジャコメッティ作のシュールレアリスム的な彫刻『吊るされたボール』(1930〜31年)もまた、“動く彫刻”とみなすことができます。これは金属のフレーム内で、三日月の上に球体が吊るされている作品です。ジャコメッティが成し遂げたのは、“動く彫刻”という概念を決定的に拡大することでした。それによって、形式上の革新であったものを、シュールレアリスムの関心事である潜在意識の連想と調和させることができたのです。ロドチェンコの関心が主として合理的な技法上の革新に向けられていたとするなら、シュールレアリストたちが最も情熱を傾けたのは、“動く彫刻”によって開かれた、無意識を表現する可能性であったと言えます。

-
1930年代の初め、技術者としての教育を受けていたアレクサンダー・カルダーは、“吊るされた彫刻”に系統立てて取り組みました。これにより、“吊るされた彫刻”はまぎれもない芸術形態へ発展しました。カルダーは、1920年代にパリで出会ったジョゼ・ド・クリーフトとの交際を通じて、また、針金彫刻や当時のブリキ玩具の研究を通じて、自らの芸術的立場を進化させました。『カルダーベリーの茂み』(1932年)は、最初のスタンディング・モビールと見なされています。この作品を構成するのは、土台の役目をはたす四面体と分銅のついた天秤の棒であり、棒の両端からはモビールがぶら下がっていました。バランスの取れた構造ではあったものの、異なる長さの梃子の原理を使うことにより、不安定な均衡を持つ形状をしていました。そのため、わずかに衝撃を与えたり触れたりするだけで、天秤の棒に動きが生じ、また、この装置のいかなる箇所に力を加えても、ほかの動きすべてが一斉に向きを変えたのでした。

-
1933年頃、カルダーは、空中に自由にぶら下がる初のモビール作品群を制作しました。中でも『黒檀のモビール』は、さまざまな傾向の形式的要素を兼ね備えていました。たとえば物を吊るすという手法はレイの『障害物』を思い起こし、吊るされた物自体の形はジャン・アルプやジョアン・ミロの絵画とのつながりを持っていました。この作品には、幾何学と生物体の領域を組み合わせた形態が見られました。

-
カルダーのモビールに顕著な特徴は、風や対流といった空気の力によってのみ動きが生じることでした。したがって、従来の彫刻のように人がそれをどう扱うかによって動きが推測できることはなく、予測のつかない動きをモビール自体が見せるようになりました。モビールの動き方は前もって定めたり仕組んだりできないため、予測や繰り返しの可能性は取り除かれたのです。

-
後期のカルダーのモビール作品では、吊るされる物体の種類は広がり、球、棒、らせん、紡錘、プロペラ、星形を含むようになりました。また、カルダーは、集会場、階段、空港、広場などのために数々の巨大なモビールも制作しました。パリのユネスコ本部前の『スパイラル』(1958年)はその一例です。

-
カルダーのほかに、とりわけ熱心にモビールに取り組んだ芸術家はブルーノ・ムナーリでした。ムナーリは、1933年に『役に立たない機械』シリーズの制作に着手します。シルクの糸で吊るされたこの作品は、やはり空気の動きによって始動し、球形の回転をするものでした。1940年代の後半にはリン・チャドウィックが、動物の形を用いてモビールを作るようになりました。また、1950年代にはケネス・マーティンが、休止から運動への交替を繰り返すといった新たな効果を創案し、これによりモビールの動きは相当に複雑なものとなりました。

-
1950年代と1960年代にジャン・ティンゲリーは、モーターを使って彫刻を生き生きと動かす試みに専念しました。また、ジュリオ・ル・パルク、ジャン・ピエール・バザレリー、ジョエル・スタンといった視覚芸術探求グループに連なる芸術家たちも、1960年代にモビールを使った実験作品を発表しました。同じ時期にジョージ・リッキーは、科学的とでも言える構造を持った作品を提示しました。高級スチールを用い、自在継ぎ手を取り入れたリッキーのこの吊るされた彫刻は、動きの範囲を制限されていたとはいえ、モビールの謎めいていて計り知れない様相に対する、尽きることのない関心の証となっていました。
[戻る]
|