デンマーク・モビール モビール







デンマーク・モビール

「彫刻は静止したもの」という固定観念をくつがえしたのが、“動く彫刻”モビールでした。このページでは、そんなモビールの誕生にまつわる歴史を探ってみます。

 モビールの祖先としては、風車・水車・水時計・風見鶏といった動く機具類を考えることができます。しかし、モビールは何らかの機能や実用のために作り出されたのではなく、彫刻の新分野として創案された芸術作品でした。

 20世紀になって、キネティック・アートという新しい美術概念が現れました。これは作品に動きを与えることで、空間と時間の双方による表現を目指したものでした。ロシアの彫刻家N・ガボによるモーターを使った彫刻(1910年)は、この分野での最初の作品と言われています。彼は1922年にも、時計のぜんまいで振動するキネティック・スカルプチャーと呼ばれる彫刻を創作しています。

 マルセル・デュシャンは、このキネティック・アートの創成期に大きな足跡を残した人物でした。1913年にパリで発表された『自転車の車輪』は、手で回せるようになっていましたし、別な作品では、指で押したり息を吹きかければ動く仕組みになっていました。電動の『回転半球』(1925年)も、よく知られています。

 最初のモビールは、こうした流れの中で登場しました。1920年にロシアの画家A・ロドチェンコは、宙吊りにした木を用いて、自然の力で動きうる彫刻を試みました。

 しかし、動きを主眼とした本格的なモビールを創始したのは、アメリカの彫刻家アレクサンダー・カルダー(コールダー)です。カルダーは、1898年、彫刻家の父と画家の母の間に、ペンシルバニア州で生れました。幼い頃から工作が大好きだったと言い、工科学校を経たのち、ニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグに学びました。1926年にはパリに渡り、針金・ブリキ・木などを素材に、動物やピエロを模した『カルダーのサーカス』を制作します。1930年に訪れたP・C・モンドリアンのアトリエでは、その抽象絵画を見て大きな衝撃を受け、これ以後、非具象的な造形へと向かいます。

 カルダーが目指したのは、抽象美術に動きをもたらすことでした。1932年、彼はパリのヴィニョン画廊で、モーターで動かす作品群を発表しました。「モビール」という名称は、これらの新彫刻を呼ぶのにデュシャンが提案したもので、「動き」と「動機」という二重の意味を持つフランス語でした。次にカルダーは、針金とブリキを用いて、機械仕掛けではなく空気の流れに応じて動く作品を制作し、以来、この形式のものが、一般に「モビール」と称されるようになりました。形態の変化にも着目した彼は、動きに対照性を持たせることで、構成物の間にさまざまな位置関係が生じるようなモビールを多数生み出しました。有機的で単純な構造、色彩豊かで軽妙な表現、それがカルダー作品の特徴でした。

 モビールは、その誕生の当初より、正真正銘の芸術形式として美術界から認められるとともに、家庭や職場における装飾、商品のディスプレー方法、乳幼児への視覚的刺激として、世間一般にも急速に普及しました。社会の共感を得ることの少ない現代美術の中で、モビールだけがこのような広まりを見せたのは、カルダーが好んだサーカスのような、見世物的な楽しさや曲芸的なスリルがあったからではないでしょうか。




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